35年前のこの日から八重山でバイトしていました
過酷だった小浜島の生活
ふとカレンダーを見たら、今日は6月28日。
35年前のこの日から小浜島でリゾートバイトをしているんですね。
今思うことは「長旅だった」って一言です。
35年間沖縄に住んでいても気持ちはいつも札幌にいるようなおかしな感じです。
自分が思っているほど故郷は自分を思ってくれはしないんです。
帰省するたびに寂しくなります。
わたしの旅はいつ終わるんでしょうね。
「恐怖のリゾバ、小浜島リゾバ体験記」小浜島に着いた時のことはこちらの記事に書いてあるんですけれど、今にして思い返すとなんだかお芝居だったような印象の強烈さがあります。
それまで平凡に生活していたのが一転してなにか「すごいもの」に放り込まれたような感じでした。
せめて寮に賄いの人がいて仕事だけに専念できたら、3カ月のお約束でも、少し延長してバイトできたと思います。
小浜島のバイトの契約が切れてから台湾へ
小浜島で3カ月バイトをして、少しお金もたまったので、今はないんですけれど石垣から台湾への船があったのでそれに乗って台湾を一周しました。
この時はわたしは完全に「世界の中心は八重山だ」と信じていたので、台湾ではみんな裸足でバナナ食べてると思っていたんですけれど、行ってみると裸足で島ぞうりはいてるのはわたしだけでした。
所持金が足りないので、今はない中華商場の切手屋さんでいきなり「これ日本の記念切手です、買ってくれませんか」とか言って、もちろん断られたんですけど。
ダメですよね、そんなこと言っても言われた方が困っちゃいますよね。
台湾には2週間くらいいて、帰りの方で土建屋の社長さんがケガしたわたしを助けてくれたんです。
台湾も景気が良かったのか、帰りに1,000USドルを持たせてくれました。
八重山からコザに移って仕事をやめたりして凹んでいた時、2回くらい台湾に呼んでもらいました。
あの時億劫がらないで北京語をしっかり勉強していたら、後年役に立ったと後悔していますが、台湾は中途半端に日本語が通じるから、改めて北京語を習おうとかしなかったんですよね。
日本語教室はあちらこちらで見かけたんですけれど、逆は見かけなかったです。
まとめ
あれから35年経って、今のわたしは無為徒食の病人なんですが、ここ2、3日、以前の帯状疱疹の痕にブツブツができてきたりして痛いです。
ただの神経痛ならいいんですが、ブツブツが気になるので明日皮膚科に行きます。
低血圧とおそらく貧血もあるんでしょうね、イマイチ元気がなくて寝ています。
訪問看護師さんなんかには「ブログは書かないの?」とか言われているので、少し書こうと起きてみました。
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