これでやっと沖縄に戻れます
仕事を休みがちになっていました
期間工最後の1ヶ月は静かな生活でした。
会社がちょうどお盆休みになって、なんだかんだで2週間くらいお休みになったんです。
この長期休みで「来月の給料が減る」と文句を言っている人もいましたが、お金のことよりもわたしはお休みが欲しかったです。
長期休暇があるからだったのか、会社は新しい人を連れてくるのをやめたみたいで、「期間工、1日だけの同居人」こちらの記事に登場したるりこさんの後には誰も寮に来ることはなく、わたしは生まれて初めての一人暮らしをエンジョイしていました。
好きな時間に起きて、お腹が空いたらスーパーに行って食べたいものを買って、誰とも会話しないし文句も言われない穏やかな毎日です。
お盆休みが終わっても、生産調整とか言って、今日は休み、翌日も休みって言う日が続いて、わたしはすっかり出勤する気がなくなってしまって、毎日「お休みします」って電話を事務所にかけて、このまま契約満了まで仕事を休みたいと思っていました。
会社のえらい人たちが寮にきたよ
ところが世の中そう甘くはなかった。
あと3日くらいで契約満了と言う日の午前中、会社の人がいきなり寮に来たんです。
それも見慣れた作業着の事務所の人じゃなくて、スーツを着たえらそうな中年のおじさんたちだったから、これはヤバいって覚悟を決めました。
えらい人たちはわたしを工場に連れ戻すために来たわけではなくて「もうすぐ契約満了なんですが、けろさんは出勤日数が1日足りていないので、このままでは沖縄にお返しするわけにはいかないし、赴任旅費もお支払いできなくなる可能性もあります。けろさんはどうしたいのかお話を聞かせてください」と穏やかに言いました。
「わたし、うつ病ですと診断されています。工場でのいじめが原因です」咄嗟に調べられたらヤバい嘘をつきました。
「ほう、どこの病院に行かれましたか?」
「ここの近くの坂井病院です」通勤のバスから見える内科の病院の名前を当てずっぽうに言いました。
「そうですか、わかりました。先ほどいじめがあったと」おっしゃいましたが、どのようなことでしょうか?差し障りのない範囲でお聞かせ願いますか」
はい、待ってました。
立板に水の勢いでわたしをいじめた人たちのことをチクってやりました。
これは調べられても別に構わないのでわたしはいい調子でお話ししました。
一通りわたしの話を聞くと、えらい人たちは「また連絡しますね」と言って帰って行きました。
「診断書を出すように言われたらどうしよう?」とわたしは頭を抱えていました。
こんな仕事があるなら先に言えよ
翌日、事務所から電話があって「けろさんはどうしても出勤日数が足りないので、明日1日だけお仕事をしていただけますか?」と言われました。
あと1日仕事をしたら赴任旅費も支払うし、契約満了にすると言われたら行くしかありません。
「わかりました、何時にバス停に行けばいいですか?」
「バスは午前10時出発なので間違えないでくださいね」
午前10時。
そんなワードわたしはながらく聞いていないよ。
半信半疑でバスに乗って工場へいくと。一角にイスが並べられている部屋があって、クリーンスーツに着替えようとしたら「ここはそれは着なくていいんですよ」と案内してくれた係の人が笑って言いました。
わたしの最後の仕事は、イスに座って指サックをつけて出来上がった携帯電話の検品をするだけでした。
「期間工の寮生活、健康で食欲があるのはいいけれど」大喰らいの岩本さんが言ってたのはこんな仕事だったのね。
クリーンスーツも着替えなくていい、座ったままで作業ができて20時にはしごおわ。
こんな楽な仕事があったのに隠してたのね、会社め。
まとめ
こうしてわたしの期間工の仕事は終わり、沖縄に戻ることができました。
後半グダグダだったのに無事に帰してもらえたので、もっと早くにいじめが強いストレスになっていると言えば良かったのかな。
けど事務所の人たちは力になってくれなそうだったしな。
40代で期間工をやってみた、わたしの話はここまでです。
仕事の内容はキツいし、人間関係の悪い、次のない職場とわたしは思ったんですけど、どのように」考えるかは」あなた次第です。
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