寮だけでなく工場でもいじめられていました
わたしの工場での仕事
期間工の仕事って、ライン作業でおしゃべりしながらってイメージがありました。
実際にみんな楽しそうにおしゃべりしながら仕事をしているんですが、わたしだけは違いました。
わたしは「チェッカー」と呼ばれる、ラインの末尾で仕上がったユニットが通電するかコンピューターにかけて見るとか、正しく組み立てられているか目視するとかそんな忙しい仕事で、おしゃべりする暇なんかないし、理由は分からないんですがラインの人たちからは毛嫌いされている存在でした。
チェッカーがOKを出したユニットはそのまま次の部署に持って行かれるので責任は重大です。
なんでこんな部署についたかと思い返すと、履歴書にパソコンが使えますとアピールしたからかもです。
そんなの真に受けなくたっていいのに。
ユニットを通電するコンピュータはしょっちゅう故障して、そのたびに上の人を呼ばなくちゃいけないし、そうするとやたら時間を食うので容赦なくラインからのユニットは溜まるし、1000個とか溜まるとわたしの処理能力越えるのに誰も手伝ってくれないので泣く泣く休憩時間も仕事をしてみたりといった有様でした。
ラインの人たちから嫌われていました
そこまで責任があってややこしい仕事なんだから、時給上げるとか、ラインの生産量をコントロールする権限が与えられるとかすればわたしにも不満はなかったんです。
ラインは毎日あちこちに配置されていて、違うメンバーが毎日違う作業をしていたんですけどチェッカーだけは毎日同じ列の最後尾で仕事をしていました。
わたしも仕事を覚える気がなく逃げ出すことしか考えていないから、誰かしら上の人に頭ごなしに叱られる毎日でした。
ガム噛みながら仕事しているような小娘に「主任」と呼ばなかったと言って人格否定みたいな罵倒されたり。
しょっちゅうどやし付けられるだけのチェッカーを横目で見てラインの人たちがなにを思ったかはわかりませんが、明らかに小バカにする態度を取られました。
和やかにおしゃべりをしているラインの人たちに声をかけると笑い声がピタッと止まるとか、出来上がったユニットを投げて寄越すとか。
こんな調子だから、いつもわたしはひとりでそそくさとご飯を食べて、人目を裂けるような卑屈な振る舞いをするようになりました。
まとめ
沖縄移住をする時に友だちみんな捨てて来たようなもので、友だちがいなくてもここまでは仕事が忙しかったし、わたししかできない仕事をしているって自負があったので気にしたこともなかったんですが、今回のように人懐っこい気持ちで、期間工を選んだのは完全に大失敗でした。
40代の転職ですから手みやげ代わりで履歴書に得意なことをアピールしてみたんですけれど、これがわたしの場合大失敗だったんですが、なんにもできない40代というのも企業はそれほどうれしくないのかなと思います。
「期間工の寮生活、健康で食欲があるのはいいけれど」こちらで登場した岩本さんみたいに図々しい人は、なにをやっても期間工業界では立派な勝ち組だとおもいます。
自分に合わない職場は即やめて、次に行くのも必要なんじゃないかと思います。
わたしがなぜ逃げられなかったかというと、赴任旅費がキッチリ3ヶ月仕事しないと支給されないからでした。
「沖縄移住、会社とキャリアアップとまだ23歳のわたしたち」こちらの記事でも少し書きましたが、3ヶ月を耐えられずに帰っちゃう人って多いんですよね。
離島では逃亡をする人が後を絶ちませんでした。
期間工だと九州の人でも新幹線代で自腹切ってでも途中で帰っちゃう人がいました。
前日予約の航空券と新幹線代とか、怖くてわたしの財力ではとても出せないのでわたしは3ヶ月身売りされたような気持ちで辛抱しましたが、帰れる人はどんどん帰っちゃっていいと思います。
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