吹けば飛ぶような在宅ワークに飽きました
42歳でパートに出たいと目覚める
「ほんとうに沖縄には仕事がない?」こちらの記事で書いたようにわたしは37歳でお店を閉めてから数年は、お店で残った商品をヤフオクで売るという「タケノコ生活」をしていました。
閉めたお店の在庫でしたが結構いいお値段で売れていたので、たとえばボタン2個で3,000円とかです。
ヴィンテージ品寄りの仕入れを続けていて良かったです。
値崩れすることなく売ることができたので商圏を内地に向けるのは正解だったと思います。
ちょっと話はズレますが、一応書いておきますと、お店を始めた年から開業届を出しています。
青色申告で確定申告もしていましたので。
おとなしくハンドメイド素材を販売していたらいいのに、ここで飽きちゃうんです。
飽きてパートやってみたいとか思ったんです。
なんで?
今の仕事続けていればそこそこ食べて行けるし、仕入れ次第ではのっと稼げそうなのに。
けどわたしにも切実な思いがあったんです。
それは、誰かと仕事をシェアしたいという思いでした。
在宅ワークといえば聞こえがいいですが、来る日も来る日も鬼出品の鬼発送という生活を続けていたら、誰かと達成感を分かち合いたいと思っても仕方のない話だと思うんです。
面接の結果
近場のパート面接は一通り受けて、ことごとく落ちまくりました。
スーパーや営業やコールセンターの仕事をメインで面接を受けていました。
引っ越しとか介護みたいに体を使う仕事はまだ病み上がりだったため避けていました。
面接がある日はちゃんとメイクして受け答えもソツがないようにこなして(自分で思っているだけかも知れませんが)、それで数えてみたら何社ものパートに落ちるとかどうして?
パートの面接なんて履歴書が書けて本人がその場に行けばOKなんじゃないの?と思っていたので、これもやっぱり沖縄のコネ社会か?などと考えてモヤッとしていました。
やがてサムズバイザシーの皿洗いのパートまで落とされて目が覚めました。
さすがに皿洗いはわたしのやりたい仕事ではなかったし、週3回程度のパートを探していてここまで落とされるなら、もうどこに行っても同じこと。
わたしも自分の市場価値を考えずに、仕事を選り好みしていました。
それほどお金に困ったわけでもなく、わたしのワガママでやりたかったパートです。
もう無理だなと思ってパートの面接を受けるのはやめにしたんです。
まとめ
いちばん最後に期間工の面接も受けてみたんです。
「県外は全然たくさん仕事がありますよ」ってやさしく言われて思わず「やります!」って元気よく言ってしまったんです。
これがまぁ、「恐怖のリゾバ、小浜島リゾバ体験記」こちらの記事の恐怖以上におそろしい世界でして、次回は期間工のことを書きたいと思います。
今リゾバや期間工を仕事の選択の一つとしている方は、この記事もどうぞ参考にされてくださいね。
ご質問お受けしています。
お気軽にどうぞ。
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