選り好みしなければ仕事はないこともないです
コザでさえたくさん仕事はあります
沖縄移住をして仕事がない、給料の高い仕事がないとお嘆きの方が多いみたいです。
これは私が思っているだけですが、仕事の選り好みをしているんじゃないかな。
わたしも最初は仕事を断られてばかりだったんですけれど、たとえば「方言ができないとね」みたいな断られ方をしましたよ。
できるわけのないことをあげつらって仕事を断るとか、すごく失礼だなと思ったんですけれど、その頃面接に行っていた職種は主に販売員とかでした。
自分でも少し感じていたんです。
販売員は自分に合わないって。
アクセサリー屋さんのアルバイトを2時間で逃げ出したこともありますね。
まずパンストを履いてないことで叱られて、あとは大して広くもないお店の中をこっちの列は右回り、反対側は左回りに回ってくださいって理由も言わずに店内を回ることだけ強いたから、無理と思って2時間でやめて帰って来ました。
資格を取るため学校に行きました
誰がやってもできる仕事ばかり繰り返していてはいけない、と自分なりに考えて20代の終わりに職業訓練校に通ったんです。
そこで日商簿記3級とパソコンとワープロの使い方を学びました。
ブラインドタッチができるようになったのも訓練校でです。
資格は取っただけじゃ全然意味がなくて、実務経験がモノを言うんですけれど、パソコンが使えるからって家の近所の会社にハートに出ました。
ここが「2023年にやりたいこと」で書いた社長がブラックな会社です。
ここでは社長が他の人たちには内緒でお給料を25万円くれていたので家族3名で食べて行けるようになりました。
ハンドメイドショップを始めました
会社員を辞めて半年ほどブラブラしていたら、夫がプラザハウスのカートでお店やってみないかって言いだしたんです。
これが独立する転機でしたね。
話が決まって最初は土日だけって話だったのに、毎日やってちょうだいって話になりました。
ひとりでは難しいのでアルバイトの子に来てもらったりして頑張りました。
わたしの取り分は月に30万円はありました。
もちろんもっとある月もありました。
まとめ
お店は7年間やりましたが、わたしが体を壊して閉店しました。
それからは在宅でネット物販とかをして生計を立てていました。
わたしが沖縄になじめないと感じたのは、ほんとうに最初の数年間で、だれでもできる仕事を「それしかできない」と思い込んでウロウロしていた頃です。
ここで挫けずに、資格を取るとか、何かやってみたら仕事の方から歩いてやって来るようになりますよ。
わたしはあのまま札幌に住んでいたよりも、コザに住んで、ずっとエキサイティングでお金も儲かる人生を生きたと思っています。
低賃金を嘆くだけでなくて、自分が変われば人生も変わるんじゃないかと思います。
今、沖縄が嫌いになっている方は、なにかルーティーンワークにプラスして自分を変える努力をしてみてくださいね。
コメント