降ってわいたスカウト話
那覇での委託社員話
「小浜島リゾバ体験記 ルームメイド編」こちらの記事で書きましたが会社のお偉いさんとパナリに行った時、「けろさん、良かったらここの仕事が終わってからもうちの会社で仕事をしてみませんか」と言われて驚きました。
お偉いさんが言うには、わたしたちの身分は委託社員になるんだそうで、正社員登用の道もある。
仕事をするのは那覇の高級シティホテル。
わたしたちは掃除もするけれどシフトを考えたりコンピュータを使った作業も教える。
住まいは那覇で、会社が面倒みる。
いい話なんじゃないかな
どうですか?この条件。
わたしは悪くないどころか、むしろいいんじゃないかと思ったんです。
沖縄の失業率の高さは調べましたし、ナイチャーのわたしたちが正社員になれるはずもない。
この身分で住まいも面倒見てもらえるなら安心して働けるんじゃないかな。
わたしを何より食いつかせたのは、「コンピューターを使える」と言う一言でした。
わたしが小浜島でリゾバをした1989年頃のコンピューターって一台200万円くらいしていて、さわって作業できるのも一部の人に限られていることを知っていたので、コンピューターを使わせてもらえるなら一生の武器になるかもとあたびちゃーは小さい脳みそで考えたんです。
「友人とよく相談してみます」と言ってその日のお返事は保留にしました。
一生掃除やるの?
寮に帰ってからちょとウキウキしながら友人にこの話をしたんです。
そしたら開口一番「一生掃除やってるつもり?わたしは嫌だこの話」と、ガチガチに身構えて言われちゃったんです。
コンピューター使う仕事だよ、とか人員の管理の仕事もあるんだよと説明しても「無理」の一言。
「だってけろちゃんコザに住むんでしょ?この仕事じゃ那覇で仕事三昧じゃない」なんかここまで言われたら友人の説得は無理と思いました。
わたし一人だけこの話を受けると言う選択肢もあったんですが、この3か月間一緒に苦労した友人を一人でコザに住まわせて、アパート探しから家電、生活道具まで揃えさせるのは無理だとこの話はあきらめることにしたんです。
いっしょに来たからこその沖縄移住と言う考えがお互いにあったからお断りできたんだと思います。
まとめ
結局、このお話は事務所の責任者の方を通じてお偉いさんに報告してもらうことにしました。
責任者の人はわたしたち一人一人に目をかけていてくれる「オヤジさん」的存在の人だったので「それで本当にいいのか?お前たちの仕事ぶりを評価されたんだぞ、めったにない話だぞ」と言ってくれたんですが「コザに住みたいんです」と言うしかありませんでした。
今思い返すと、23歳の頃のわたしはと言うか今でもそうなんですけれど、社員ってタマじゃないと思うんです。
長く務めることを前提に仕事をするのは性に合ってないんです。
それにコザの街は住むには取っつきにくかったけれど、それなりのキャリアや人脈もできたんです。
沖縄での暮らしが合わなかった友人は2年間でお金を貯めて東京に行き、今はカメラマンの仕事をしています。
わたしもそれから間もなくメンヘラのドクターにどうしてもと言われて一緒に住んで、短い間だったけど贅沢三昧させてもらったので、那覇に行かなかったことはそれほど後悔していません。
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